華やか?それとも壮絶?知られざる遊女の世界を学ぼう

2014-08-31 12:00 配信 / 閲覧回数 : 1,013 / 提供 : Hot Pink / タグ : SEX 花魁 遊女


 

そもそも「遊女」って?

 

「遊女」という呼称は古くからあり、もともとは舞踊や楽器などの芸能に従事する女性のことを指していました。その後、定住して活動するものの中に売春をするものが現れ、娼婦のことを指すようになりました。

 

彼女らの多くが、借金の肩代りに売られたり、数年契約で働かされたりする者ばかりでした。一般的に遊女の引退年齢は27歳頃ですが、過労や病気で引退年齢の前に亡くなってしまう人も多かったようです。
馴染みの客に借金の肩代わりをしてもらい、身請けされると、妻や愛人としてその後の人生を送ります。遊女を妻にするということはあまり想像がつきませんが、明治以前までは貞操観念が厳しくなく、売春をすることに関してあまり後ろめたいと感じる人が少なかったのです。

 

また、家族のために身を売ってお金を稼ぐ健気な女性として、ある程度敬意を払われていました。

 

映画などで耳にする、「~ありんす」という言葉づかいは、廓詞と言われ、全国から集められた彼女たちの訛りを隠すために使っていたと言われています。

 

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バストが大きく

 

子供を産めない体になったら、一人前⁉

 

この時代、もちろん十分な避妊道具がなく、妊娠することは日常茶飯事でした。薄くて丈夫な紙を膣内に入れて精子を吸わせ、事後は洗浄するというのが当時の避妊方法だったのです。

 

妊娠してしまうと商売にならないので、遊郭で胎児をむりやり掻き出されていました。また、ホウズキを煎じたものを膣内に入れると、その成分で胎児が腐って堕胎できると言われており、そのような母体を考慮しない堕胎方法が使われていました。
何度か子供を堕すと、妊娠できない体になってしまうことが多かったのですが、遊女としてはそのほうが理想的だとされ、妊娠できなくなると一人前といわれる、女性としては悲しい実情がありました。

 

美貌、品格、教養全てを兼ね備えた花魁

 

多くの遊女は身売りされた女性である一方で、高級遊女になる女性は、廓の中で生まれた子がほとんどで、世話役に教養や芸を叩き込まれます。

 

最高級の遊女はもともと太夫と呼ばれていましたが、「おいらの姉さん」と遊女たちの間で呼ばれていたのが「花魁(おいらん)」の語源と言われています。

 

花魁は客を選べた!

 

下級の遊女であれば、今現在のソープのようにすぐに本番ができましたが、花魁は別。そもそも、花魁の客となるには、3つステップを踏まなければならなかったのです。

 

1回目:初会

 

同じ部屋の端と端に座り、会話することはできません。その場に食事や芸妓などを呼び、宴会を催さなくてはなりません。しかも、花魁が上座に座り、客が下座に座ります。花魁は客の品定めをし、花魁が気に入らなければ、付き合うことができません。

 

2回目:裏を返す

1回目と同じように宴会を開きますが、この時にやっと近くに座ることができます。

 

3回目:馴染み

この時に初めて床入れとなり、初めて夜をともにします。3回目になると、馴染みの客という位置づけになることができます。

 

ファッションリーダーだった⁉

 

「花魁道中」と呼ばれる、茶屋からの道中を眺めていた町人たちは、彼女たちの美貌だけに着目していたわけではありません。
優雅に町を練り歩く花魁は、男性だけではなく女性も魅了しました。町娘たちは、彼女たちの髪型や着物を流行の最先端とし、憧れの目で見ていたのです。

 

西洋では汚らわしいものとされている娼婦ですが、日本の娼婦は気高いと感動したゴッホは日本の娼婦画を模写しています。
今でこそ偏見のある仕事ですが、当時の彼女たちは家族のため、そして自分自身が生きるために、芸を磨き、自分を磨き、華々しく壮絶な世界で戦っていたのです。

 

 

原文:Hot Pink

 

 

 




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