トーキョー’90クロニクル vol.6 『ウリ』は『ウリ』でも多くは『切りウリ』だった。

2014-09-15 16:00 配信 / 閲覧回数 : 1,392 / 提供 : 大泉りか / タグ : 90年代 コギャル 援助交際 東京


 

着崩れした制服が、援助交際OKの証!?

 

海外で売春婦スタイルというと、ニーハイブーツにボディコンシャスなミニスカートが定番だそうですが、90年代の東京では“着崩れした制服”こそが、その証でした。

 

制服を身につけて道をただ歩いているだけで「いくら?」と声を掛けられ、電話ボックスで友達にポケベルを打っていると、ガラス越し指を三本突き立てられる。

 

メディアで扇情された『女子高生=援助交際』というイメージを、脳内にすっかり刷り込まれた中年男性たちが、何ら悪びた様子もなく、「君、幾らで買えるの?」と話しかけてくるのだから、当時の東京は、ある種の無法地帯だったといっても過言ではありません。

 

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ある時のことです。駅からの帰り道、大通りを家に向かって自転車で走っている最中でした。時刻は終電少し前だったでしょうか。都内とはいえ、23区の端っこにあるわたしの住む街は、勤め人が多く住むベッドタウンということもあり、夜ともなれば人通りも少なく、走っている車でさえもチラホラ。

 

そんな中、男が運転する原チャリがゆっくりと並走してきたかと思うと、「ねぇ、ちょっとそこのオネエサン」と話しかけてきたのです。

 

年の頃は20代後半か30代半ばでしょうか。気持ち悪い“オヤジ”って感じでもなく、ごくごく普通のオニイサンといったルックス。ナンパと援交申し込みのどちらとも判断のつかない微妙なラインです。

 

ナンパだったら“イケてないから”お断り、援交だったら危険はなさそうだから“マジ問題ない”。こうやって男を瞬時に値踏みすることは、本来は悪癖であるとされるでしょうが、しかし無法地帯に生きているのならば、必要な才能のひとつです。

 

さて、それた話を元に戻しましょう。男は原チャリにまたがったまま、胸ポケットから扇のように広げた数枚の千円札を取り出して言いました。「ねぇ、これでオッパイ触らせて貰えない?」。

 

目で数えるとお札の数は全部で六枚。妙に中途半端だと思いつつも、「1分ならいいっすよ」と頷くと、男は原チャリを路肩に止めて、辺りをキョロキョロと見回します。どうやら適当な場所を探している様子だったので「そこでいいんじゃないっすかね。ビルの影」と提案し、ふたりしてビルの隙間へと向かいました。

 

暗がりに落ち着くと、男に言われるがまま、制服のシャツのボタンを外してブラジャーをずらしました。緊張しているのか、小さく震える男の指先が胸の膨らみに触れた瞬間からカウントのスタート。
「あと、30秒」。
せっかく金を払うなら、もっと胸のでかい相手を物色すればいいのに……と思いながらも残り時間を読み上げると、男は少し焦った様子で、指先に力を入れたり、乳首を突いたりと必死に手を動かしてきます。あまりの必死さになんだか可哀想な気持ちが湧いて、「はい、終了……ですが、あと30秒いいっすよ」と心ばかりのオマケをつけてあげることにしました。

 

こういう最中に、何を考えているかというと、それは『稼いだお金を何に使うか』です。日焼けサロン代、レブロンの黒いファンデーション、モヘアのニットにサテンシャツ。一番欲しいものは、何だろう。そんなことを考えているうちに、1分半のプチ売春が恙無く終了。

 

そして「ありがとう」と男が胸ポケットに入っていたお札を私に手渡そうとした瞬間、手元が狂ってお札がヒラリと地面へと落ちた……のはいいのですが、そこにあるのは三枚のお札。

 

実はその男、札束を少しずつずらして折り、二倍に見せていたのでした。どうしようもなく、せこい。自分の人を見るする目の拙さに呆れながらも、地元でモメるのも面倒くさいので、おとなしく三千円を拾い上げ、男と別れました。

 

跡を付けられていないか気にしつつも、再び自転車を漕ぎ始めたわたしの心の中に、罪悪感などまるでありません。なぜならそれは『切りウリ』だったからでしょう。

 

そう、当時の『ウリ』は必ずしも『セックス』であるとは限りませんでした。

 

この『セックスじゃない』ことの気軽さが、援助交際ブームを盛りたてる原因のひとつとなっていたことは確かです。

 

そして今となっては、わたしが児童買春の被害者という立場に置かれることになるのかもしれない。けれど、わたしはどうしても自分が被害者であるとは思えません。むしろ、わたしは、確かにオジサンたちの共犯者でした。

 

 

 




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