愛知県の元赤線「有楽町」のちょんの間で働いてみました<後編>
初仕事の相手は恰幅のいいオジサン
「あやちゃん、○○に行ってくれる?」小料理屋さんから内線が来て、お父さんが指示を出しました。初仕事です。
わたしは料理やの地図を握りしめ、少し遠い小料理屋まで歩いて行きました。そー言えば、鶯谷の光景に似ていたかも…!?
ちょんの間に従事するオンナは基本歩きか、自転車。結構ウロウロしていました。「お願いします」そう言い、小料理屋のお母さんが「はい、二階の梅の間ね、これ持って行って」そう言い、瓶ビールとみかんとおつまみとガラスのグラスを持って二階に上がります。
扉を開けると恰幅のいい、いかにも好き者そーなオヤジが。「何? 新人さん、かわいいねー」なぁーんて言い、炬燵に入り談笑。まー、若いって武器だとつくづく思いますね。笑ってりゃーよかったんだもの(笑)。
屈託ない笑顔の18歳。オヤジの蛇蝎の様な差し込む眼差しを、今でも忘れません。
ゴムが擦れて痛いと訴えたら「生でヤレば?」と言い放つ置屋のお母さん
「じゃ、始めよっか」そうオヤジが言い放ち、炬燵を横に膝行らせ、座布団を二枚並べ始めました。わたしは『ゴクリ』と唾を嚥下し、スカートとショーツだけ脱ぎました。
「全部脱いでよ」オヤジは素っ裸。実際シャワーもないのに、素っ裸になる必要性も感じられなかったけれど、オヤジに脱がされストーブの前で大股を開かされました。基本セットとして、洗浄された脱脂綿、コンドーム、ティシュを持参してましたから、「あの、これ」とコンドームを差し出すと、「あ、いいよ、持って来てるから」と八割りの方は持参でしたね(笑)。
洗浄綿で拭ったアソコでも、直ぐに濡れるわけもなく、クン○を執拗にされました。
嫌悪感が凄く、何度泣いたか分かりません。
ゴムを被せ、わたしの穴で射精し、何事もなかったかのように服を着て…。事が済んだ後、「はい」って言って、1万円をくれるわけです。たった40分で1万円と花代。確か30分で1500円だったかな?
わたしのちょんの間デビューの幕開けは『大股広げて即1万。楽勝じゃん』でした。
が、アソコを使う仕事は身を粉にし、心もアソコも擦り減って行きました。
でも、お金がわたしの理性を奪い、心労よりも凌駕して(もっと、頑張らないと)と出血しても仕事をしました。
ある小料理屋のお母さんが、「ギュって力入れれば精子もでるわ」と、は? マジですか? と驚愕な一言を言いました。それは、わたしが「ゴムが擦れて痛い」と相談を持ちかけたからです。
生……。病気の認識も甘かった10代。
でも、不特定多数と情交を交わす上、一番怖かったのは病気です。病気には幸いならなかったけれど、心の病気になってしまったのは事実です。臍を固めてちょんの間で働いた一年。わたしにはキツかった〜。
<次回>は箱ヘル編です。
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