【衝撃】12歳でヌードモデルになったエヴァ・イオネスコの人
母から娘へと継承される“性”のかたち
イリナ・イオネスコの写真集を初めて目にしたのは、今はもう潰れてしまった神保町の洋書専門店でした。
ムーランルージュのダンサーのような、バストトップも露わなビキニを身に着け、仮面で目元を隠した少女が、エキゾチックなポーズを取る表紙に惹かれて、思わず手に取ったことは今も記憶に鮮明です。
その当時のわたしは、出版社でのアルバイトを掛け持ちしている駆け出しのライターでした。
と、同時にSMショーに出演したり、ヌードに限りなく近いモデルをやったりということをしていました。すべてはお金のため……ではありません。
むしろ、それは自己表現のためであり、自分のためだった。だから表現のために性を売ることを厭わない女というものは、あまねく“同士”だという思いを抱いておりました。
しかし、その美しい写真のモデルは、まだ年端もいかぬ少女です。自分の意思でどうのこうのという年齢ではない。では、金のために親に売られた哀れな少女だったのか。
わたしは、その写真家の名前を脳裏に焼き付け、調べていくうちに、表紙の少女は、写真家の娘、エヴァ・イオネスコであることを知ったのです。
そのエヴァ・イオネスコ自身が監督を務める自伝的映画『C』がこの度、公開されるということで、一足先に観させていただく機会を頂きました。
<あらすじ>
かつては画家で今は写真家を目指しているアンナ(イザベル・ユペール)は、ある日、自分の12歳の娘、ヴィオレッタ(アナマリア・ヴァルトロメイ)の写真を撮り始める。
普段はかまってくれない母が振り向いてくれることに喜びを抱き、その期待に応えようと、まるで娼婦のような衣装に身を包み、妖艶なポーズを取るヴィオレッタ。
が、世間に作品が認められ、アーティストとして注目を浴びるに従い、次第にアンナの欲求はエスカレートしていく。一方で、次第に、母アンナに反発を覚えていくヴィオレッタは、ついに……。
日本でも最近、取沙汰されている毒母。美しい娘を自らのミューズに見立て、その性を搾取するアンナ。ヴィオレッタの母の行為は、まさに毒母と呼ばれるものでしょう。
しかし、わたしは、そのアンナの気持ちが痛いほどにわかります。
映画の中では描かれていませんが、イリナ・イオネスコ自身、サーカスのブランコ乗りであった母親を持ち、また、自らも若い頃にはダンサーとして生計を立てていた。イリナ・イオネスコは、自らの表現のために性を売る母親の背中を見て育ち、そして、自らも同じく性を売ることを厭わない女へと成長した。
そう、わたしが“同士”であったのは、モデルである娘ではなく、その母アンナだったのです。
しかし、娘のヴィオレッタはそうではありません。アンナが固執する世界とは無関係の、ごく普通の清楚な少女です。しかし、母の表現のためにその性を利用されることになります。母への愛と引き換えに、巻き込まれる形で。
理解しあえない母と私。理解を押し付けられる側の苦しみ…
話が少しそれますが、皆さんは両親からセックス、そして、自分の性について、どう教わったでしょうか。
いわゆる性教育というものです。わたしの場合、セックスは「本当に好きな人が出来るまで取っておくこと」そして、性器については「ばい菌が入ると困るから、そこは触ってはいけません」という二点を強く言いつけられました。
わたしの母は、セックスは愛の行為であること、性器は自分の身体でありながら触れてはいけない場所であると、幼いわたしに教えたのです。
そう教えられて成長したわたしは、セックスとオナニーに自然と罪悪感を持つようになりました。けれども初体験は愛よりも好奇心が先立っていましたし、オナニーは禁忌の行為でありながらも興奮するものだった。
そして、成長していくに従い、セックスは愛の行為である一方で、快楽という側面もあること。
オナニーは誰でもするごく普通の行為であることを知り、殊更声高々に「女性が欲望を持つこと、欲情すること、快楽を求めることは、なにひとつおかしなことではない」と主張するようになりました。
が、そのベースには、母親に植え付けられた『性の罪悪感』への反発があることは確かです。
『ヴィオレッタ』の中で、アンナは、多くの母親が『秘めるべきもの』として扱うことの多い娘の性を、自らの欲望のまま世間に晒します。そんな母に、成長するに従い娘のヴィオレッタが反発を覚えるのは、当然のこと。
が、アンナは、娘に向かって言います。わたしたちは特別なのだ、と。
しかし、自らが肉体を使った表現を発することを欲しているわけではないヴィオレッタは、母の言うことがさっぱりわかりません。
そして、また、アンナもヴィオレッタがわからないのです。「こんなにも素晴らしい世界の何が嫌なの」と。本当に心から、その世界が素晴らしいと思っているからこそ、なぜ、その世界のために自分――性――を捧げることが出来ないのかがわからない。
娘は母親から、性的なものに対する何がしかの教えを受ける。しかし、母にとっては『絶対』のそれも、娘の『絶対』になるとは限らない。
わたしの母も、おそらくはわたしのことがわからないでしょう。母にとっては、女が自らの欲情や好奇心やただの暇つぶしとして、愛などまるでない男と身体を重ねることは、自分を汚す行為でしかないからです。
と同時に、わたしも母の貞淑論を理解することはできません。そんな、どうあがいても理解出来あえない間柄で、どちらかが一方的に理解を強制する場合、理解を強いられる立場の苦しみがこの映画の中に描かれています。
母と娘の確執、アーティストの執念と不安、娘の自立、そして、ヴィオレッタを演じるアナマリア・ヴァルトロメイの奇跡のような愛らしさと妖艶さ、いかにもフランス女優らしいアンナ役のイザベル・ユペールのきつく冷たい美貌、当時を再現した凝りに凝ったファッションや小道具……ストーリーに加えてそのビジュアルも魅力に溢れた今作品『ヴィオレッタ』公開は、5月10日、シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開予定です。
<映画紹介>
『ヴィオレッタ』
1977年、母親が実の娘のヌードを撮るという反道徳的なテーマで、フランスのみならずヨーロッパや日本でも大きな議論を呼んだ写真集「エヴァ(発売当時は「鏡の神殿」)」が発表された。
それから34年を経て、被写体だった娘のエヴァ自身が監督となり映画化。2011年のカンヌ映画祭において批評家週間50周年記念映画として上映され、物議を醸した問題作がついに日本公開。カンヌでも、少女を妖艶に描いたことの是非について、批評家の間で波紋を呼んだ。
母親を憎み続けたエヴァ監督自身の実体験に基づいたエピソードが随所に盛り込まれ、自分の思い通りに娘を動かそうとする母との激しくリアルな葛藤描写も話題になった。
本作で戦列なデビューを飾ったヴィオレッタ役の新人アナマリア・ヴァルトロメイとフランスを代表するイザベル・ユペールとドニ・ラヴァンの見事なアンサンブル。パリの超有名スタイリストのキャサリン・ババによる70年代ファッションも見どころ。
【監督・脚本】エヴァ・イオネスコ
【衣装】キャサリン・ババ
【音楽】ベルトラン・ブルガラ
【出演】イザベル・ユペール、アナマリア・ヴァルトロメイ、ドニ・ラヴァン
2011/フランス/106分/カラー/原題:My little Princess
【提供】メダリオンメディア
【協力】ユニ・フランス
【配給】アンプラグド
【公式サイト】http://violetta-movie.com/
【公式twitter】 https://twitter.com/movievioletta
【公式facebook】 https://www.facebook.com/violetta.movie
(c)Les Productions Bagheera, France 2 Cinema, Love Streams agnes b. productions
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