私が『三代目・葵マリー』を名乗るようになったいきさつ
「三代目」ということは、「初代」がもちろんいるんです!!
今更だけど、【三代目・葵マリー】と名乗る様になった経緯を話してみよう。
よく「三代目って、何の三代目?」って、業界人の人とか一般人の人達に聞かれる事がある。
私自身、名刺にも【三代目・葵マリー】とか書いてるけど、はっきり言って、改めて思えば恥ずかしいよね。歌舞伎の世界とか徳川家のとかじゃなく、SMの世界だけの話。いわば言ったもん勝ちみたいなもん。
しかも二代目は不在って言うね(笑)。更に言っちゃえば、四代目って娘も居たんだけどね。四代目は、「?」な人も居るだろうけど、これは後々お話しますね。
「そもそも初代・葵マリーって誰?」って人も居ると思うので、簡単にご説明を。
ほんと簡単に言ってしまうと、今ある『SM』ってジャンルを確立させたなかの一人で、内外タイムスという新聞に、初めてSMが出来る店として広告を出した人。
当時は、今みたいにSMなんて単語が常日頃、耳に入って来る時代じゃないので、内外タイムスの人に「SとMってことは、お洋服屋さんですね」と言われるくらいに、SMって言葉が浸透してなかった。
「多方面にSMの説明をするのが大変だったのよ」と聞いたことがある。
そう考えると初代の貢献度は凄いなー、と思うよね。
当時、初代は赤坂・六本木で3店舗のお店を経営していて、超高級店・一般的なSM店・レズビアン専門店と3種類の店舗があった。このレズビアン専門店で働いていた女子と出逢った事が、初代との出逢いに繋がるんですよ。
初代に「はじめまして」のご挨拶……
場所は渋谷の道玄坂。いわいる性風俗店ってやつ。マンションの1室が、事務所兼女の子の待機所。
ここに初代のドリームワールドが生成されていた。
面接と称してマンションを訪ねて行くと、そこには初代の息子とともに、初代の専属M男数名が、店のオープン準備に勤しんでいた。
仲介に入ってくれた女の子に紹介されて、初めて初代に挨拶。
この時点で、この【初代・葵マリー】って女性が、どんだけの大物だったかなんて、これっぽっちも知らない。
「あら。可愛いらしい子じゃないの。うちで働いてくれるの?」
確か、こんな言葉が私に投げられた最初の言葉だった。
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