性と生を見つめ直す映画『玄牝』<後編>
文化の異常によって失ってしまった本来のまぐわいの気持ち良さ
男性は週刊誌やAVでセックスを学ぶ。
そこにくり広げられるものは、そんな穏やかなまぐわいとはほど遠い世界である。
目的は、ただただ射精であり、女性を攻めたてている姿はなんとも恐ろしく、凶暴にも見える。セックスというものは下劣なものだと教えこんでいるようだ。
だからだろう、女性もそんなものだと思わされている。
これって、出産とも通じていないか……?
本来のお産やまぐわいの姿についての素晴らしさを教えるものが断然に少ない。
そして、社会の問題は膨れあがってきた。
お産もまぐわいも、日常に、普通にあるもののはずなのに、本来のものが伝わっていないのだ。きっと、だから生きる力が衰えてきてしまったのだろう。
その結果が、社会で問題になっているメンタルの病気やセックスレスや少子化、その他もろもろの問題に繋がっているのかもしれない。
……だとしたら、それはやはり文化の異常であろうと思う。
の文化の異常は、本来人が根本的に持っている「愛されたい」という欲求自体も、認めさせず、歪めさせてきてしまった。
「愛されたい」という欲求と向かいあうこと
私が携わっているジェムリンガというヒーリングジュエリ-がある。
水晶などの鉱物がお団子の様に5つくらい並んで、純銀とともに組まれている。これの使い方は人それぞれだが、ホト(膣)に収めて使う女性が多い。
この勉強会などが各地で行われているが、参加する人達は普通の女性がほとんどだ。
何を期待して集うかは人それぞれで、身体の疾患をどうにかしたい、心をどうにかしたい、自分と向き合いたい、パ-トナ-との関係をどうにかしたい、いいまぐわいがしたい……。本当に様々である。
しかし、一様に何かの救いを求めている姿でやってくる。
その女性達が会に参加して、ジェムリンガについて、性について、男女について、自分についてなどの話を聞くごとに、自分の中の「愛されたい」という気持ちに気づき、そこに向き合い始める。
向き合うことは、きれいごとだけではなく、自分の中のどろどろとした感情をも見つめていくことになる。そしてまた、膣に異物を治めることにより、膣と子宮が活性化され、心と身体の動きも活性化されてくる。
愛されたいという欲求に向き合い、性にむきあう。これこそが生に向き合うことだと感じる。
それをやりだした女性は、もれなく美しくなってくる。内からの輝きが増してくる。
『玄牝』に登場する妊婦や女性達とも同じ輝きを感じるのだ。
愛されたいから始まり、愛され、愛し、愛あるまぐあいをして、妊娠し、お産する。
そんな当たり前の性を見つめていくことの大切さを、日常として映し出している玄牝という作品は本当に素晴らしいと感じ入っている。
では、最後に、パンフレットから抜き書きをしたいと思う。
タイトルの「玄牝」とは、老子の「道徳経」第六章にある言葉。大河の源流にある谷神は、とめどなく生命を生み出しながらも絶えることはない。
谷神同様、女性(器)もまた、万物を生み出す源であり、その働きは尽きることがない。老子はこれを玄牝“神秘なる母性”と呼んでいる。
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