エロ産業界のギャラ『処女喪失ビデオ』の場合<後編>
たくさんのワガママを聞いてもらえた初AV出演=初体験
原宿でAVのスカウトマンに声をかけられた当日、プロダクションで宣材写真まで撮ってしまった私。
その時は、何がなんだかよく解らなかったが、初体験をビデオで撮影するということなんで、こちらの要求事項をかなり飲んでもらう約束で話を進めた。
・肌真っ黒で気持ち悪いAV男優はNG
・会社バレ対策の為に、メイクさん付ける
・撮影日は土日
撮影日指定とメイクの希望は叶った。
だが、プロデューサー&監督面接をした時に、綿密な打ち合わせで決めた肌の白い男優さん(当時の大島丈さんを希望)が突如、来ないことに……!!
しかも、代わりに、タバコ臭い口のSプロデューサーが、
「今日は僕と愛の逃飛行だよ」だって。
処女喪失がハメ撮り大好きプロデューサーの生贄となってしまうことが決定。その瞬間頭、真っ白になった。
いくら貰えるとかは1秒も考えたことがなく、撮影終わったら会社退職して自殺しようって思ってばかりいたっけ……。
18〜19歳の頃は、精神的にも不安定で鬱っぽく、自分の存在がなんなのかわからなくなり、自傷行為について考える日々だった。
だが、こんな処女喪失AVに出演するという自傷行為のスペシャルパックに、棚から牡丹餅までが、まさか降ってくるとは……!?
撮影は丸1日撮りで、倉田大明監督のドキュメンタリー作品だった。
1995年当時は、売れないと分かっている作品でも、有名監督なら、数十本に1本位は好きな作品を撮っていい時代だったんだろう。
だからと言って、女優のギャラは規定の金額よりも上げることは出来なかったらしい。たとえ、処女でも……。
実際のギャラの話になった時、監督は私に対して申し訳なさそうな顔をしていたが、フェラはもちろんアナル舐めまで要求したSプロデューサーは、平然としたツラしてて驚いた。
いよいよ公開!! 処女喪失AVのギャラは〇〇万円!
さて、ここでギャラの公開である!!
プロダクション『B』への支払いは、30万円。
ギャラの規定はall折半だったため、15万円から源泉徴収額が引かれた135,000円が、私が現金で受け取った額である。
微妙な金額過ぎて、ギャラを受け取った翌日に父に、「おい、ツーリング行くから金貸せ!」って言われて、そのままその金を渡して「返さなくていいから……」ってニヤっとした覚えがあるなあ。(父との確執がMAXだったのですっきりした)
19歳になってからは、トラウマを振り払う為にAV女優をフリーランスで続ける決心をした。
20歳目前で、父母が営む会社が事実上の倒産したため、会社を続けたままエロ業界からも足を洗えないと悟った私。心の整理を付けて、エロ屋の個人商店事業を本腰入れてスタートするようになった。
真面目に営業してギャラ交渉すると、135,000円より超えることは多々有り、私の中での下限金額の基準金額となった。
次回まだこんな話を続けて書いていいならば、『AV業界黄金時代の花形ギャラ事情』をズバリ書かせて頂きましょう!
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