AV女優になった私の生い立ち、母との確執、そして心の傷…(1)
内気で根暗だった小さい頃…
今まで、AV男優の旦那・ピエールさんとの恋愛や、前夫との関係などを書いてきましたが、ここで私の幼少期からの生い立ちを知ってもらおうかと思います。なぜ、私が前の結婚でB男を配偶者に選び、そしてうまくいかなかったのか…。生い立ちを書くことで、そのあたりのことを、自分でも改めて気づくことがあるのではないかと思ったので…。
1971年9月23日、東京杉並区に生まれました。
父は不動産業をしていて、私が3歳の頃に独立して経営者になり、母は専業主婦という比較的裕福な家庭でした。小さい頃の私は、今の私からは想像も出来ないほどの引っ込み思案で、臆病で、神経質で、いつも母や周りの目を気にしながら日々の生活を送っていました。
幼稚園の頃は、朝登園して、上履きが靴箱に入っていないことに気づくとメソメソと泣いて、「もう行きたくない!」と駄々をこねて、そのまま帰ってきちゃったり…。お友達も少なくて、2人としか話していた記憶がないんですよね。
すごーく陰の薄い子だったと思います。妹が生まれてからは、母はそっちへの愛情をわかりやすくかけていたので、甘えたいという自分の感情を余計に押し殺して暮らしてました。
凄くネガティブで根暗な子だったしね(笑)。私、自分の小さいときの感情とか、今でもリアルに覚えてるんですよね。人は死んでしまったら、自分のことなんて、ブスだったこともデブだったことも頭悪かったことも貧乏だったことも、どうせすべて無になってしまって分からないのに、どうして綺麗になりたい、痩せたい、頭良くなりたい、金持ちになりたいと願うのだろう…? なんてことを、小学校1年生くらいの時に、寝る前とか考えながら寝てたもん。
世間体を気にする母と私との関係
そして、今は大嫌いな嘘も子どもの頃はよくついていました。
ある時のことです。私は母親にこんな嘘をつきました。「学校で水曜日にはおやつが出るんだよ」と…。すると、母はそのことをママ友に話したらしく、「そんなの出ないわよ」と、その嘘がばれてしまい、「ママ恥かいちゃったわよ!!」とものすごく怒られました。
そう、うちの母親はとにかく世間体、体裁を非常に気にする人だったのです。そして、「他人にどう思われるか?」ということは、私にも押し付けてきました。
卒園式のことです。幼稚園ではハーモニカを吹く演奏がありました。でも、その日、私は咳が酷くて、ハーモニカにまったく口を当てらないほど…。結局、最後まで咳が止まらず吹くことができなかったんですね。
終わった後、慰めてくれるかと思いきや…。
「何でちゃんと吹いてくれないのよ! 1人だけあんなで恥ずかしい!」と罵られました。
また、小学1年生の時の授業参観ではこんなことがありました。算数の時間に、とても簡単な足し算の問題が出され、先生に「わかる人は手を挙げて」といわれました。でも、私はどうしても手を挙げられないんです。答えが分からなかったわけではありません。もし、指されてしまった時に、立ってみんなの前で答えなくてはならない、そのことがイヤでたまらなかったから。授業が終わった後、母親は不満そうな顔で近づいてきました。
「何であんな簡単な問題もわからないの? ママ、すごく恥ずかしくて、顔から火が出る思いだった!」と、イヤミを言われながら帰ったな~。
でも、母の期待に反すると、私に向かってきたのは言葉による叱責だけではありませんでした。
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