愛知県の元赤線「有楽町」のちょんの間で働いてみました<前編>
18歳、援交相手から紹介された風俗は「ちょんの間」
最近ふと、「あれ? わたしってなんでフーゾク嬢をやってんだろう…?」思ったことがありました。
実に面白い。ではなく、実に訝しい。もう現役は引退!? の年齢でもあるので、引き際が大事と思い、今まで性に交わったことを赤裸々に綴っていきたいと思います。
今でこそあまり聞かなくなった言葉、『ちょんの間』。わたしは18歳の頃、約1年間そこに従事していました。今思うと、ものすごい仕事です。
ちなみにわたしは、ちょんの間で働く前、援助交際などをして食べていました。特にオヤジ大好き人間なので、60歳くらいのおじさまでもへっちゃら。今でもくたびれたおっさんが好きデス(笑)!!
さて、何人かお付き合いしていたなかの50代のオヤジから、ある時こんなことをいわれました。「綾ちゃん、もっと稼げる所紹介してあげる」と…。すると、置屋のお父さんのところに連れてかれたのです。
皆無なしに即採用。その後、その援交相手だった50代のオヤジとは連絡がつかなくなり、わたしはそこの置屋に売られたのでありました。後から想像するに、紹介料として幾らかバックマージンでも貰ったんじゃないのかな?
さて、まだ風俗に対して非常に無知だったわたしは、その日から「あやこ」という源氏名で働くことになったわけであります。
異様な雰囲気の赤線跡
置屋の半径500m界隈には、10軒くらいのお料理屋さんがあって、あたかも「松野や」みたいな小料理屋の呼称がついていました。
その10軒近くある周囲の小料理屋に、手ぬぐいを持って、置屋のお父さんと挨拶周りに行きました。
たしか、2月くらいだったんじゃないかな。雪の舞い散る寒い日でした。
その『ちょんの間』は、基本的に紹介がないと入れない領域で、昔からのお客さんが多く、『新人入ったよー』と電話すれば、即座に怖いもの見たさ(?)に予約を入れ、彼らはわたしを見に来ました。
寒い日でも小料理屋の扉は細く開いたまま。ちなみに、これは『営業してます』の印でした。
今住んでいるところから、その場所はそれほど遠くなく、たまに訪れることがあります。すでに、時代の流れでちょんの間は営業をやめてしまっていますが、その一角だけ異様な雰囲気があります。
そんな時代から取り残された風景のなかでは、お仕事もまた、時代から取り残されたような形で行われていました。
<次回>は、初仕事について書いていきたいと思います。
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