フェイク・ラブ 第四章〜Iori〜<第35話>
<35回目>
「お父さん、そろそろ会社に行く時間ですよー。ぼうっとしてないで、支度してくださーい」
またぼんやり考えていると、口を尖らせた野々花に怒られる。
そうだったそうだった、とわざとらしい演技をしてカバンを手に取る。普通にあたしのカバンだけど、野々花の頭の中ではブリーフケースらしい。
「いってらっしゃい、お父さん。今日のご飯はカレーライスですよー」
「いってきます、お母さん」
「待って。その前に、お出かけのチュウ。お父さん、あいしてるー」
ちゅっと軽く音を立てて、小さな唇に口づけると、野々花は満面の笑みで答えた。おやつに食べさせたビスケットの香りがした。
今どきはほとんどの家庭が専業主婦じゃなくて共働きだろうに、ままごとの世界では相変わらず妻が夫を待つ設定だ。しかも、お出かけのチュウ、って……。本当にどこで覚えてくるんだか。うちの両親がそんなことをしているの、一度も見たことないのに。
お父さん、お父さんと言われているうちに自然と父親のことを思い出した。
箸の持ち方が違うと肘をピシャリとやってきた父親、こんな時間まで何をしてたんだと殴りかかってきた父親、できちゃった婚なんて絶対に認めないと顔じゅう噴火させて怒鳴った父親、そしてまだ足もとのおぼつかない野々花の手を引いて、病院のベッドで再会した父親。
そのやせ細った姿、最期の最期にごめんとあたしの手を握った、筋張った弱々しい手……。
父親は、あたしが野々花を産んでまもなく倒れ、肺がんでこの世を去った。55歳だった。
家を出て、野々花を産んで、お母さんへの感情が変化すると共に父親への感情も少なからず変化したはずだし、やせ細って謝られて胸に来るものもあった。
それでも未だにどこか割り切れないでいるのは、母親にはなれても父親にはなれないからだろうか? しつけに厳しい厳格過ぎた父親に、甘やかされたり抱きしめられたりした記憶が少な過ぎるからだろうか?
娘と父親の関係は、生まれて初めての男と女の関係だという。
父親に虐待されたとか父親が飲んだくれのロクデナシだったとかのエピソードを持つ子は風俗に多く、そういう子は決まって不幸な恋愛を繰り返していた。
彼女たちほどの壮絶な子ども時代ではなかったとはいえ、よくよく考えればあたしも、不幸な恋愛ばっかり積み重ねている。ひょっとしたら、父親を未だに100%許せていないことと、関わりがあるのかもしれない。
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