フェイク・ラブ 第四章〜Iori〜<第42話>
<42回目>
園のドアからまた一人顔見知りのママと子どもが出てきて、慌てて笑顔を作って会釈をする。電線に止まったスズメがちゅんちゅんうるさい。
『もし、もしもよ。お母さんが伊織のためになんでもする、伊織のためにこの身を捧げる、残りの人生全部伊織のために使うって言ったら、どうよ?』
「ウザいし気持ち悪い」
ジョークにしようとしたのに、お母さんは笑わない。
『そうでしょう? でも、どの母親も最初はそういう母親像を目指そうとするのよ。それが理想の母親だってことになってるから。そこからはみ出したくないから。誰だって、母親失格だなんて言われたくないじゃない? でもね、もうあんたも母親だからはっきり言うけど、本能的に備わってる母性なんてものはないわ。そんなのは、ないものを信仰してる人間が言うことなのよ』
ゴミ収集の車が道の反対側に停まって、エンジン音に驚いたスズメが逃げていく。ツナギ姿の人たちが動くのを見つめながら、電波の向こうに耳を傾ける。
『わたしだって、あんたが赤ん坊の頃、何度も泣かされたのよ。伊織は夜泣きがひどかったからね。お父さんはその頃他の部署に移ったばかりで、毎日残業。だからね、家に帰ってくるのは12時過ぎることが多くて、まったく手伝ってくれなかったし。
毎日、毎日、朝から晩まで、何ひとつ自分の思い通りになってくれない伊織とひたすら向き合わなくちゃいけなくて。今でいううつ病っていうの? マタニティーブルー? そういうのになりかけてたわ。伊織を抱えてマンションのベランダに立って、このままここから飛び降りようとか考えたこともある』
お母さんは、一体何をあたしに伝えようとしているんだろう?
野々花が生まれて自然と和解して、反抗期の娘とそれに手を焼く母親から、普通の親子に戻ったつもりだった。
でも、こんな話は一度もしたことなかった。
『そうしなかったのは、あんたが可愛いと思ったからよ』
「は? 何よ、それ」
『何それじゃなくて。今から死ぬか、どうするか、そんなこと考えてベランダに立ってたら、伊織が笑ったのよ。その顔が本当に、心底、可愛いと思ったのよ。あんたにも野々花ちゃんがいるんだから、わかるでしょう』
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