泡のように消えていく… 第一章〜Chii〜<第27話>
<第27話>
「それで、話は戻るけど。ほんとに他に、聞いておきたいことはない?」
「大丈夫です」
「本当に大丈夫? 一度お仕事に入ったら、もう後戻りはできないのよ」
沙和さんは女神様のような笑顔のままだけれど、瞳は笑っていなくて口調は固かった。
後戻り、という言葉にしっかり固めてきたはずの決意がぐらついて、後ろ髪を引かれそうになる。この人はすべて見透かしてるのかもしれない。
「……大丈夫です、本当に」
なんとかそう言えた。
声が震えてるのがわかった。沙和さんのことを見られない。
濃い沈黙が数秒あって、柔らかい声が斜め上から降ってきた。
「そう。じゃあ、わたしから話すね」
と沙和さんが言ったとき、朝倉さんがシャワーから戻って来た。
「知依、今予約入った。12時半にここ到着予定だから、まだ30分ぐらい時間がある。それまで待機室にいるんだ」
突然、朝倉さんにそう言われて、ぴしりと背骨を上から引っ張られるような感じを覚えた。
よかったねと沙和さんが笑いかけて、この時ばかりは心を和らげる効果てきめんの沙和さんの微笑みがさらに緊張を煽る。
本当にもう、後戻りはできない。
「じゃあね、知依ちゃん。また後で話しましょ」
「あれ、沙和さんは待機室、行かないんですか」
朝倉さんに連れられて一階の待機室に向かうわたしとは反対に、沙和さんは三階へ続く階段に足をかける。
「わたしは個室待機だから。また後で話しましょ。お疲れ様」
「お疲れ様です……あ、あの。2日間ありがとうございます」
きちんと腰を折り曲げて頭を下げると沙和さんはお辞儀したわたしの頭を頑張ってね、とぽんぽん撫でてくれた。湯たんぽみたいにあったかくて、羽毛の入った布団みたいに柔らかい手だった。
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