フェイク・ラブ 第三章〜chiyuki〜<第22話>
<22回目>
「紅茶で良かった?」
「ありがとう」
江口くんはわたしがイメージしていた『男の子の部屋』とはだいぶ違う、ごく整頓されたシンプルな八畳間に招き入れた後、紅茶の入ったマグカップとお皿に並べたクッキーを持ってきた。ティーバックを捨てるための小さなお椀まで用意されている。
「江口くん、しっかりしてるんだね」
「え、そうかな」
「うん。前からしっかり者だとは思ってたけれど。部屋も片付いてるし」
「A型だからかな、散らかってると落ち着かないだけだよ。それより、この問題なんだけど。柿本だから英語得意だからわかるんじゃないかな」
教科別にきちんと整頓された本棚の中からテキストを一冊引っ張り出して、目の前で広げる。頭をくっつけ合って互いにわからないところを教え合いながら、しばらく普通に勉強した。
わたしの得意なところは江口くんが苦手で、わたしの苦手なところは江口くんが得意だから、ちょうどよかった。
マンションの8階は静かで、外の喧騒に邪魔されることもない。わたしたちの話し声とシャープペンの音だけが、二人だけの閉ざされた空間を満たしている。静けさが緊張感を煽る。胸が不穏な鼓動を打つ。
いくら長谷部くんじゃなくたって付き合ってるんだし、家に二人きりだし、それにさっきから2つの体は今までありえなかった距離に近づいていた。
もしかして、ドキドキしているのはわたしだけなんじゃないか。そう疑うくらい江口くんの態度はごく自然で、何も起こらないまま平穏に時計の針が進んでいく。
紅茶のお代わりを持ってくるからと江口くんが立ち上がった時、予防注射の順番を心臓をバクバクさせながら待っていたら、わたしの前で待っていた子が打ち終わった途端『今日は予防注射、中止になりました』って言われた気分になった。
別にそういうことをしたいわけじゃないけれど、彼氏の家に二人きりで相手がそんな気持ちにならなかったら、そりゃあ複雑だ。
たしかに胸は小さいし痩せすぎだし子どもっぽいし顔だって全然可愛くないけど、わたしってそんなに魅力ない? 付き合ってって言ったのは、やっぱりわたしなら自分と釣り合うからって思ったからで、ほんとは大して好きじゃなかった?
被害妄想が膨らみかけていたから、江口くんの手が足に触れた時は内臓全部が一気にひっくり返ったかと思うほどびっくりした。足というか、正確には膝こぞうの少し上らへん。
「ゴミついてるよ」
そう言ってスカートから出たらしい紺色の糸くずをつまんだ江口くんが、淹れたての紅茶の湯気の向こうで呆気にとられている。江口くんの体温に触れるなり、わたしが電流に触れたような勢いで飛びのいたから。
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