フェイク・ラブ 第三章〜chiyuki〜<第19話>
<19回目>
「どうしました? そんなおっきいため息ついて」
「えっ?」
冨永さんに言われて初めてため息をついたことに気づく。今度はわたしが慌てる番だ。
「別に……。なんでもないですよ」
「すごいため息でしたよー。はあぁーって。一瞬、話しかけられたのかと思って振り向いちゃいました」
「すいません」
別にいいですよ、と軽い調子で言ってハンドルを握り、車がカーブに差し掛かって体が大きく右に揺れる。ダッシュボードに置いたままのノートが、運転席を目指して滑ってきて、冨永さんの大きな手がぱっと押さえた。
冨永さんは、周りに聞こえるほどのため息をついていても、世界の終わりみたいな顔をしても、何があったのかとしつこく聞いてこない。
それでいて、ひとの話は一生懸命聞いてくれる。干渉せずに黙って受け止める器を持っているから、仕事やプライベートで嫌な思いをしたとか、そういうことも冨永さんなら話せる。
彼氏でも友だちでもなく、基本的に自分と何の関係もない人間だからっていうのもある。
「あの……。この広い東京で、知り合いにたまたま会う確率って、どれぐらいだと思いますか?」
ちょっと考えて言葉を選んでから言うと、冨永さんはハンドルを握ったまま答えた。いかにも走り屋っぽい赤いスポーツカーが唸り声を上げながら、ワゴンを追い抜いていく。
「俺、昔海外で、小学校の同級生に会ったことありますよ。24歳か、25歳くらいの時だったけど」
「うっそー!!」
「ほんとです。それもハワイとかだったら、まぁまぁ、ありそうな話なんですが……。パラグアイで、たまたま、ですからね。美樹さん、パラグアイって、どこだかわかりますか?」
「わかりません」
「南米です。バックパッカーをやってた時に、向こうもほんとに偶然、バックパッカーで来てたんですよ」
「へぇ」
バックパッカーが何だかもわからなくて、冨永さんだったら聞けば面倒くさがらず丁寧に教えてくれそうだけれど、パラグアイがどこだかもわからないわたし、さすがにこれ以上馬鹿な子だと思われたくなかったのでやめておいた。
「だからあるんですよね、そういう偶然って」
「すごいですね」
「はい。美樹さん、もしかして今のお客さん、知ってる人でしたか?」
平坦を装ってるけど、ちょっとだけ固い声だった。わたしは小さく首を振る。
「いえ……。一瞬そう思ったんですけど、違いました」
勘が良さそうな冨永さんだから、ほんとはそうじゃないって気づいてたかもしれないけれど、そうですか、と言っただけで、それ以上は聞いてこなかった。
さすがに冨永さんにも、長谷部くんのことは言えなかった。
今のわたしには、本音を打ち明けられる人って冨永さんぐらいしかいないし、その冨永さんだって所詮は他人。心の中身を何から何までシェアするわけにはいかない。
家族とはずっと連絡を取っていないし、彩菜や朋子や沙紀、高校時代の友だちとも卒業以降たちまち疎遠になり、風俗を始めてからは自分から連絡を取ることもなくなった。
短大時代は友だちを作るのには短か過ぎて、風俗で知り合った女の子とはあまり縁が長続きしない。
もし彩菜と今でも親友でいたら……? そう思うこともあるけれど、『柿本千幸』時代を知っている人に、今の仕事は絶対バレたくないから、二度と会うことはないんだろう。
東京で孤独に生きるわたしに思わぬ形で訪れた長谷部くんとの再会の偶然は、キラキラ輝いて、特別な意味を持とうとしていた。
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