フェイク・ラブ 第三章〜chiyuki〜<第1話>
<第1回目>
〜10年後〜
『203号室』『ハセベ』……。
車の中で冨永さんからお客さんの名前と部屋番号を聞かされた時、遠い記憶をしまい込んでいた胸の奥がどきりとした。
あれからもう10年が経とうとしているけれど、その名前を聞くと、今でも脊髄反射でドキドキしてしまう。ハセベなんて、ありふれてもいないけれど、それほど珍しくもない、どこにでもある名前なのに……。
「こんばんはー。入って」
10年前からタイムスリップしてきたような笑顔があたしを迎える。
203号室のドアを開けるなり、まさかの思いが現実になって、玄関で立ち尽くしたまま動けない。
一見して、すぐに長谷部くんだってわかった。さすがに10年の時間が肌の質感や輪郭を大人のものに変えてはいるけれど、涼しげな目もともシャープな鼻のラインもあの頃のまま。長めのウルフカットだって、爽やかなテノールの声だって、高校の時と同じだ。
あれから10年経って27才になった長谷部くんが、同じく27才のわたしを東京で一人暮らししている自分の部屋に呼んだ――。
ものすごい確率の偶然に目まいがしそう。
「どうしたの、入ってよ」
リビングから長谷部くんがわたしを呼ぶ。
さっきよりも訝しげな声に、甘い胸の高鳴りとまずい、という思いが同時に湧き上がってきた。
あの柿本千幸が、東京でデリヘル嬢をやってるなんて、もちろん誰にも知られたくないけど、特に長谷部くんには絶対に絶対に絶対に知られちゃいけない。でもこのチャンスを逃したら、もう二度と長谷部くんに会えないかもしれないんだ。
あの頃、あんなに好きで好きでたまらなくて、それでいて決して手の届かなかった片思いの相手が、すぐ傍にいる。
「……失礼します」
俯きながら家に上がる。
革靴やクロックスが散らばっている玄関、クイックルワイパーが立てかけてある壁、あまり自炊している様子が見られないキッチン……。妄想の中でしか入ったことのない長谷部くんの生活スペースに実際に足を踏み入れるなんて、不思議な気がする。
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